適応障害と一緒に生きる「これから」のお話

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[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]「これから」も大事だケロ!
ぴょん吉ですケロ![/word_balloon]

私は一度休職したものの、復職して1年は何事もなく働いてこれた。意外と早く何とかなるもんなんだな~っと思っていました。

一度どん底まで落ちたので、ムリをすることの代償は身にしみて分かったので、一番ひどかったときのようになることはもうないと思います。そうなる前にブレーキをかけられるようになってきたので。

でも、不安が完全になくなったわけではなかった。それは盲点でした。その盲点をつかれて、一瞬ブレーキを踏むのが遅れてしまった。それが2度目の休職の原因なんでしょう。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]油断大敵ケロ![/word_balloon]

もうこれは一生付き合っていくしかない予感しかありません!

では、適応障害と一緒に生きていく人生とは、どんなものになるんでしょうか?

患者なりの視線で考えてみました。

生きる場所を探して

適応障害と生きる 探す

この職場ではムリだ」と悟りを開く

復職して1年後、突然不安がぶり返してきてしまった私。そこで「完璧に治してから帰ってこい」と上司に言われてこころがポッキリ折れました。

【そもそも】なんで「適応障害」を発症しちゃったの?

即メンタルクリニックの予約を入れて、事情を説明しました。

先生や心理士さんは静かに私の訴えを受け止めてくれました。かなり主観的で理不尽な言い分だっと思いますが、それでも否定しないで「つらかったね」と言ってくれました。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]来てよかったケロ~。[/word_balloon]

その上で、完璧に治すなんてあり得ないし、そういう概念がある職場に戻るのは危険なのではないかと。もっと自宅に近い場所で、違うところに転職するのもアリなのでは、とアドバイスをいただきました。

そういう道もあると薄々感じてはいたものの、まだ踏み切れないでいた私に、そのアドバイスは重たく響きます。

「まだイケるかもしれない」という淡い期待を手放す

最初の休職から戻ったとき、私はまだ職場のことを信じていました。

きっと、自分の受け流し方が足りなかったんだろう。一度立ち止まってリセットして、今度こそうまくやろう。今回の病気から学んだことを活かして、もっと自分らしく働こう。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]「結局自分が悪い」って思ってたケロ。[/word_balloon]

でも、自分を守るための働き方と職場の流れは違っていました。最初こそ私のペースに合わせてくれましたが、そのうち元通りの業務量になし崩しで戻されていきました。

今までよりは断れるようになりましたが、それでも全て断るわけにもいきません。だんだんと時間に追われるようになり、気づけば以前よりも忙しくなっていました。

2回目の休職から戻ったら、また同じことになる。下手したら、前よりもっとひどいことになる。

もうここでは働けない。もう信じることはないと確信しました。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]悲しいけど、それが現実だったケロ。[/word_balloon]

プライベートでも同じだった

仕事以外にも同じことがいえました。育児にしろ、家事にしろ。

【回復してきたんだからもう少し頑張れるかもしれない】

【もう少しだけ幅を広げたら以前のように戻れるかもしれない】

今思えば、前と同じようになっちゃいけないんですけど、どん底にいた自分からすれば元気だった時の自分がまぶしくて羨ましくて・・。

「できることなら戻りたい!」と願ってしまうのはムリもなかったと、一定の理解はできます。

でも、本当に元通りになってしまったら100%再発します。病気になる以前の環境に戻すんだから当たり前です。

もう前のようにはなれないし、ならない。

全く新しい「これからの人生」を構築する岐路に立っていることを、私は適応障害の再発を通じて悟ったんです。

適応障害と一緒に生きる「これからの人生」とは

適応障害と生きる これからの人生

自分はカンタンに変わらない、周りはもっと変わらない

自分のストレス耐性を高めるためにカウンセリングを受けたり、包み隠さずクリニックで先生に相談したり、自分のためにできることはしっかり取り組むようにしています。

それでも、やっぱり自分のこころが乱れるポイントは変わらないし、抑え込もうとすると後から大きなブーメランになって返ってきてしまう。

自分の中身はカンタンには変わらないもの。ムリに変えようとすると余計に悪化するんですね。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]こればっかりは時間をかけていくしかないケロよ。[/word_balloon]

そして、自分自身も変わらないのだから、病気の経験がない周りの人間はもっと変わらないはず。

彼らにとっては全く未知の世界なので変えようがないのです。変える必要も感じないでしょう。

元も子もないですが、そんな彼らに何かを期待するのは間違いです。

人の目は気になります。でも、それに100%振り回されていては自分の人生を見失ってしまうんです。

たとえ99%振り回されても、残りの1%でも自分のこころに従う気概が残っていればいいのかもしれません。

【適応障害】復職経験者が語る「周りの反応」はどんな感じだった?

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]ほんの1%ならできるかもしれないケロ![/word_balloon]

今までの「生きる基準」をほんのちょっと見直す練習をしよう

「社会」という団体の中では、みんなと同じようにできることが大前提、その先は他人より抜きん出るものがあるか、何が優れているかで勝負が決まるような風潮がまだあります。

私のようなメンタル疾患を経験した者にとっては、そんな中で生きていくのはツライことなのかもしれません。

私の今までの「生きる基準」は「いかに人の前に立つか、いかに負けないか」でした。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]スーパー負けず嫌いだケロ![/word_balloon]

以前の私なら、周りが一斉に走り出したら足が痛くても思わず反射的に駆け出してしまうでしょう。転んでもすぐ起き上がって走り出し、気づいたら立ち上がれないほどの大怪我を負っていたのがこの数年の出来事でした。

でも、これからは少し基準を変えていきます。

「いかに休むか」「いかに無理しないか」「いかに楽しく生きるか」・・まだ決めていませんが、ほんの少しでも肩の力を抜いた基準が作れたらいいなぁと思います。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]まだ難しいケロ・・。でも、がんばる!ケロ。[/word_balloon]

弱音上等!溜め込む方が何倍もヤバかった

肩の力を抜くのに、個人的に一番効いたのが「弱音を吐くこと」。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]一番かっこ悪いやつケロ。[/word_balloon]

私は自分の親や夫にすら弱音を吐けませんでした。

自分を大事に思ってくれている人に心配をかけたくない。今までも自分で何とかこころをやりくりして乗り越えてきた。楽しいことだけ共有できればいいと思っていたんです。

でも、病気になって隠し通すことができずに初めて親や夫に弱音を吐きました。一言目を言い出すのにすごく勇気がいりましたが、話しているうちに気持ちが軽くなっていくのを感じ、その後は溜め込まずに済んでいます。

今更ですが、もっと早く周りに頼っていればよかったと後悔しています。

自分だけで抱え込んで生きていくのには限界がある。当たり前のことですが、忙しい毎日に埋もれてそんなことも分からなくなってしまうのは私だけではないはずです。

自分を許せるのは自分だけ

メンタル疾患では、休職や再発の回数が多ければ多いほど重症度が増していくと聞いたことがあります。

私の場合、抑うつ症状が悪化したという実感はありません。

ただ、性懲りもなく周りに期待し、今度こそ助けてくれるんじゃないかと信じてしまった自分に嫌気がさした。

周りは敵ばかりというわけではありません。寄り添ってくれる人もたくさんいました。

が、周りの問題ではないんです。「自分が自分を許せるのか」の問題だと思うのです。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]最終的には「自分」に行き着くケロ。[/word_balloon]

今もどこかで「自分のやり方が間違っていたんじゃないか」「こんな程度で病気になるなんて、もっと強くならなきゃいけない」と思っています。

結局自分が悪いんじゃないかと、自分を不必要に責めてしまう。そういうタチだからこそ、メンタル疾患を呼び込んでしまうんだと思いましたが、決してそれが悪いわけではありません。

何でも人のせいにする人より、自分を律する力があるんですから。たまたまパワーバランスがうまくいかなかっただけです。そう思うようにしています。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]「たまたま」ケロ!
次はきっと違うケロ!![/word_balloon]

まとめ

適応障害と生きる まとめ

メンタル疾患の再発は決して珍しいことではありません。

特に、一度症状が改善されてくると「もう大丈夫そうだな」と自分も周りも勘違いしてしまいます。その油断が再発の一番危険なトリガーだと実感しました。

いつまでも再発に対してビクビク怯えることもありませんが、過度に自信をもつこともしない方がよさそうです。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]何事もほどほどに・・ケロ。[/word_balloon]

不安定なこころの中でバランスを保つのは難しいことだと思います。だからこそ、周りの心許せる人と自分の状態を共有して、弱音を聞いてもらって、ゆっくり社会に戻っていけたらいいと思います。

そして、どうしてもダメなら他の場所で輝きましょう。今いるところでなければダメ・・という理由は一つもありません。

[word_balloon id="1" size="M" position="L" name_position="under_avatar" radius="true" balloon="talk" balloon_shadow="true"]環境をカエルのも一つの手段ケロ![/word_balloon]

何か一つくらい、自分のこころの赴くままにしてあげてもいいのではないでしょうか。

  • この記事を書いた人

ぴょん吉

管理栄養士・2児のママ。
それなりに順調に来ていたと思っていた矢先、仕事・育児・プライベートに頑張りすぎて2019年に適応障害を発症。
退職後は完全在宅WEBライター・ディレクターとして生計を立てられるようになるが、栄養士業務への未練が立ち切れず。学校給食調理のパート勤務から現場復帰を果たす。
メンタル疾患の闘病を経て、好きな仕事だけを選んで生きるワーママ生活を発信します。

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