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私は数年前に適応障害の診断を受けましたが、実は「重度の適応障害」という診断を受けていました。

当時はそれどころではなかったので特に疑問に思いません(考えている余裕がなかった)でしたが、今思うと「何をもって重症とされたんだろう?」と気になってきました。
調べてみると、適応障害の重症度は「どのような症状が出ているか」「治療の効果が出ているか」などを基準にして総合的に判断するようです。
そこで今回は、適応障害の重症度を踏まえ、私が感じていた前兆や症状、休職や退職に至るまでの道のりを紹介します。症状は人ぞれぞれだと思いますので、参考までに読んでもらえると嬉しいです。
また、症状については結構リアルに書いています。ご気分を害したらごめんなさい。
今回の記事では重症度の図解イラストを「心療内科・神経科 ハートクリニック」さまのHP内「こころのはなし|「適応障害」ってどんな病気?」ページから引用させていただきました。
重度の適応障害から回復までの道のり
適応障害は症状などによって軽症~重症に分かれてきます。
投薬や数回の受診で症状が緩和される場合は軽症、治療してもいまいち効果が出にくい場合などは、その程度に合わせて重症とされるみたいです。
まずは適応障害の重症度をチェック
とても分かりやすい図解があったので引用させていただきました。
こう見ると、自分が置かれていた状況もよく分かります。同時に、「気のせいだ」とか思って放置していたら大変なことになっていたかもしれない…と、少し恐ろしくも思えますね。
こちらのイラストを活用して、実際に重度の適応障害だと診断された私の場合を見てみましょう。
診断直後の私
当時の自分を思い出して、イラストにチェックを追加してみました。

中でも気になる項目はこちらです。
「不注意によって起こる事故やケガが続いている」

爪切りで深爪しすぎたり、ものすごいぶつけ方をしてあざや出血があったり。一つずつは大したことじゃなくても、頻度がすごくて生傷絶えないような時期がありましたね。
で、痛くても血が出ても何とも思わない。「治療しなきゃ!」とかも全然思い至らないんです。感情が鈍いというかね。それもひとつの症状だったのかもしれません。
「精神療法に前向きにとり組むことができない」
診断直後は、今までの不調が「病気のせいだったんだ」と納得できた反面、まだどこかで自分がメンタル疾患だと受け入れられない部分もありました。
そのため、診察やカウンセリングを受けてもすっきりせず、とりあえず処方箋だけもらいに行くような感覚で通院していた記憶があります。
通院を重ねて、波長の合う臨床心理士さんと出会ってからは前向き度が増して、精神状態もどんどん良くなっていきましたけどね。

ストレスのある環境から離れることができない(できる)
これは両方にチェックが入っていて矛盾していますが、要するに診断直前までは「離れられない」と頑なに信じており、その後診断が下りてからは案外あっさりと「離れられた」という意味合いです。
メンタル疾患を受け入れられていない分、自分がどうにか頑張れば何とかなると思い込んでいたこともあります。「休職なんてとんでもない!」と思っていたんですね。
それが診断書をもらってしまうと、やはり休まざるを得ない。思い切って職場に相談したら、何の抵抗もなく休職の手続きに入ってしまったわけで。拍子抜けでした。
ただ、休職して職場から離れられる環境に入れたのは不幸中の幸い。というか、そうしないと命の危険もありますからね。

復職直前の私
上記の通り、見るからに重症だった私も薬物療法とカウンセリングを欠かさず行うことで、目に見えて回復してきました。
復職直前は上のイラストのように軽症の域まで回復しており、自分のことを冷静に見つつ、仕事への意欲もしっかり自覚できました。服薬はまだまだ必要でしたが、飲めば落ち着くので問題ないと判断された次第です。
ここまで回復できたのは、やはりカウンセリングの効果でしょうね。ストレスの受け止め方や対処法を自分なりに見つけて実践することで、自信をもって生活できるようになりました。
何なら、適応障害になる前よりも生き生きしているような感じ。

ドキドキしつつ復職し、何とか職場にも溶け込めて「このまま働けそうかな?」と思ってきた頃、無情にも再発してしまいました。
再発→2度目の休職→退職へ
結果として、復職して1年程度で徐々に「診断直後の私」に近づいてしまって再発しました。働き方には十分気を配ってやっていたつもりでしたが、今まで通りに働いてほしい職場の思惑とは外れてしまっていたようです。
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症状の発現が2度目ともなると、さすがに「ここで働くのは無理か…?」と思い始めましたが、1年何とか働けていたのが余計な成功体験になってしまい、また諦めきれない気持ちになってしまいました。

そこで職場に助けを求めてみましたが、やはり理解されず。「完璧に治してから復帰しろ」と絶望的な要求をされて、心の糸がプチっと切れてしまいました。
メンタル疾患を「完璧に治す」なんて絶対無理。一度経験したから分かります。
だからこそ、この一言を言われたおかげで目が覚め、もう戻ることはないだろうと思いながら2度目の休職に入りました。
目が覚めたとはいえ、最後の一言がクリーンヒットで精神状態は最悪でした。2度目の休職時は1度目よりもさらに悪化し、処方薬の用量や頓服の処方も増加。同じようにきちんと治療しても、回復には1度目のときの倍ほど時間がかかってしまいました。
幸い、傷病手当金などを活用してお金の心配は当面なかったので、のんびり治療をしながらWEBライターを始め、収入のめどが付き始めた頃に退職しました。
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重度の適応障害になる前兆

引用:iStock
前後しますが、重度の適応障害だと診断されるまでに、いくつか前兆と思われる症状がありました。ただ、実際には前兆というより、その頃にはすでに重度の適応障害になっており、症状が体に現れ始めていただけかもしれませんね。
ただ、次から次へと違う症状が来るので、自分の体がどうなっているのか常に不安だった気がします。ここでは、私が実際に感じた症状を紹介します。
何となく眠れない

引用:iStock
まずは睡眠障害です。寝付きが悪くて眠れない、夜中に起きてしまってそのまま寝付けないなど、翌日の体調にダイレクトに影響を与えてくるやつ。

診断後は睡眠導入剤を飲んでも眠れなかったりして、相当な期間にわたって戦った症状でもあります。
前兆として現れていた時期は、普通に朝まで眠れる日もそれなりにあったため、「あまり疲れてないのかな?」と流してしまうこともありましたね。
「楽しい」と感じることが減った気がする

引用:iStock
これは同僚とお昼を食べていたときに気が付いたものです。
同僚は彼氏との旅行の話をしていたり、好きなアーティストのライブの話をしていたりと、とっても楽しそう。ただ、私はただ黙って聞いているばかりなので、一人が私に向かって「何か楽しみにしていることある?」と聞いてくれました。
その質問に対して、私は一言。
「楽しいことなんて何もないよ」

同時に、言った私自身もビックリ!そんな言葉が自分の口から出たのが信じられませんでした。
心躍るようなことが感じられず、予定があっても楽しみだと思えない。「何が楽しい?」と聞かれても何も出てこず、頭の中が真っ白になってしまう感じですね。
今同じ質問をされたら、相手が飽きるほどいくらでも答えが出てきますけど(笑)。
便秘と下痢を繰り返す

引用:iStock
これも地味にきつい。ストレスがかかり続けることで自律神経系がうまく働かず、消化機能に影響が出ていたんでしょうね。
消化器内科でいろいろ検査をしてもらいましたが、体には異常はなし。ただ、ここで初めて「体の不調じゃなくて、ストレスなのかな?」とメンタルの不調に目が向いたのも事実です。
イライラが止まらず、態度に出てしまう

引用:iStock
私は結構ポーカーフェイスなところがあり、特にイライラや不機嫌はあまり外に出しません。周りもイヤな気分になるし、気分屋の先輩がいて結構めんどくさかったので、自分はそうならないように気を付けていた部分もあります。
が、適応障害と診断される数ヶ月前からイライラが止まらず、顔も険しくなって責めるような口調が思わず出てしまうことが増えました。
職場では何とか抑えていたものの、それ以外の場所ではついカッとなってしまうように。子どもを強い口調で叱ったり、ちょっとしたことでトイレに閉じこもってしまったり、家族にも迷惑をかけてしまいました。
極めつけは、たまたま日曜診療をやっていた婦人科に行ったとき、医師が某国の国籍の方で片言の日本語な上に態度がひどい。薬の説明書きが書かれた紙を投げてよこしたのを見てブチ切れ(笑)。
受け付けのお姉さんに「二度とここには来ません!!」と啖呵を切って診察券を突っ返すという暴挙に出ました。

非常識なほどの怒りが抑えられないというのは、まさに適応障害の症状のひとつ。もう待ったなしのところまで追いつめられていたんでしょうね。
「これはおかしい!」異常を確信した症状

引用:iStock
なかなかの症状がすでに出ていましたが、それでも「何となく変かな?」と思う程度でした。しかし、日を追うごとに状況は悪くなり、やがて決定的に「おかしい!」と思えるような症状も出てきました。
喉のつまり感が出て息苦しい

引用:iStock
ぐーっと首を絞められているような感覚が出て、息苦しくなることが格段に増えました。
息を吸っても吸っても苦しい。息を吐くともっと苦しい。深呼吸すればするほど苦しいと、もう地獄。仕事が手に付かず、平静を装うだけで時間が過ぎていってしまう状態でした。

今までに感じたことのない感覚だったので、「絶対何かおかしい!」と考え始めた症状でもあります。
不安感と動悸が止まらない

引用:iStock
上司や同僚と相談しなければならないことがあって話しかけようとするときに、妙に不安だったり、ひどいと動悸が止まらなくなることもありました。
話す内容が合ってるか、今話しかけても大丈夫か、変なこと言ってるって思われないだろうか…みたいな妄想が膨らむこともあれば、ただただ話しかけるのが怖くて何も言えないということも。
状況は違えど、人と関わることへの恐怖みたいなものを初めて経験しました。
動悸もすごくて、胸から頭の先までドクドク響いているような感覚で、これが何とも不快。上記の息苦しさも相まって、生きた心地がしない日もありましたね。
通常業務のやり方が突然分からなくなる

引用:iStock
これも本当にビックリ。ついさっきまでやっていた仕事内容が分からなくなっちゃうんですね。
病院にいたので、電子カルテの入力が結構多いんですが、何を書いて良いか分からない。書いた文章を登録するのにどこを押せば良いか分からない。何なら、他の人が書いている文章を読んでも全然頭に入ってこないで理解できない。
これって、適応障害やほかのメンタル疾患になった人でないと分からない感覚なのでは?
うまく言えないですが、とにかく仕事が全然できなくなって困りました。で、できないと思うと焦って息が苦しくなって動悸がするという、最悪のサイクルができ上がってくるわけですね。
明らかに「勤務日だけ」に不調が出ることに気づく

引用:iStock
働いている日はあんなに苦しいのに、休みでうちにいる日や出かけている日は全然症状が出ない。出勤した日だけ不調が出ていることに気づいたときが一番決定的でした。
明らかに仕事が原因で、自分の身に何か起きている。いろいろな検査をしたけれど、体の機能で異常は何もなかった。もう残っているのはメンタル系の病気しかないと自覚した瞬間でもあります。
そこからは早く、ほんの1週間くらいの間にメンタルクリニックにかかり、重度の適応障害と診断されてあっという間に休職に入りました。
こうして諸々の症状を経験した上で適応障害となり、服薬とカウンセリングを続けてきました。現在はとっくの昔に退職し、WEBライターと学校給食のパートを両立してうまいこと暮らしています。
病気になったからこそ手に入れた生活ですが、こうして改めて振り返るとどの症状もつらかった…。学びは大きかったけど、代償も大きかったと思う次第です。
まとめ
適応障害の重症度は、症状や治療の効果などに応じて総合的に判断されます。軽症であれば比較的早く回復するようですが、私のように重症になると回復までにそれなりの期間を要します。
適応障害になるまでに前兆と思われる症状も数多くあり、さまざまな診療科に相談したり検査したりしましたが、結局体の異常は見つからず。消去法で残ったのがメンタル疾患だったというわけです。
軽症でも重症でも、通院・服薬・カウンセリングの3つをしっかり指示通りに行うことが重要といえます。私もこの3つだけは死守した結果、今は穏やかに暮らすことができています。
あとは、決して無理をしないこと。自分の不調を見て見ぬふりせず、早めに対処することも大切です。自分の心身を第一に暮らすことを考えていきましょう。