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メンタル疾患を持ってしまうと、「今後の生活」と「お金」の問題が発生することが多くあります。
「自分の健康第一で、収入は諦めて休職延長or転職する?」
「生活を維持するためにも、通院して薬を飲みながら頑張って働く?」
実質、この2択で迷っている方もいるのではないでしょうか?
今回の記事では、2度の復職を経て退職し、その後自分らしい働き方を見つけた筆者が、休職中に感じていたもやもやを書き出してみます。
変なアドバイスはありません(笑)。ただ吐き出しているだけなので、「それってあるな~」と思いながら見ていただけたら嬉しいです。
症状が安定しても、復職して継続する自信がなかった
私は今の仕事を20年近くやってきて、それなりに築き上げてきたキャリアを適応障害で中断せざるを得ませんでした。
収入を考えれば、時間をかけてでも病状を安定させて復職するのが一番良いのは間違いない。
でも、一度復職した後に再発・二度目の休職に入った経験から、戻ることは難しいのではないかと思い始めていたのも事実です。
かといって、転職すればキャリアはリセットされ、収入も新人からのスタート(多少は経験も考慮されるでしょうけど)することに。
退職すれば気持ちも楽になるでしょうが、思い切って踏み切れないのはお金の問題がネックなのかもしれません。
お金に関しては病気になる前だってそれなりに考えなければいけなかったのに、適応障害になってからはより状況はシビア。迷いは尽きませんでした。
まずはお金に関するもやもやを書いてみます。
お金に関するもやもや
お金への不安はこころの乱れにつながることも多いです。
メンタル疾患は先が見えないだけに、
「いつまでこんな状況が続くのか」
「こんなんでこの先大丈夫なんだろうか」
と思いがち。
それなりに高給取りから転落への不安
私の元勤務先は都内大学病院で、法人もお金持ちの部類に入るところ。
月々の給料やボーナス支給額は、管理栄養士の業界ではそれなりに高い方でした。
適応障害を発症した職場は、社会人になってからは2つ目。
最初の職場も正社員で入りましたが、転職することで年収が2倍以上に跳ね上がりました。
最初の給料を見たときは他人の給料が間違って振り込まれたのではないかとビビりまくったほどです。
贅沢を覚えてしまったツケが来た
恐ろしいことに、それがだんだん当たり前のことになり、入ってくるお金が多ければ多いほど使い方も派手になります。
独身の頃は都心ど真ん中の駅チカ5分の単身用マンションに暮らし、渋谷だの丸の内だのアチコチで夜中まで遊び呆けていました。
勤続年数が長くなれば当然昇給もしていくので、危機感も給料に反比例してどんどん薄くなっていきました。
結婚・出産後もどんぶり勘定そのもの
途中で結婚して妊娠・出産を経て、お金の使い方はかなりセーブできるようになりましたが、それでもカツカツの節約生活なんてできるわけもなく。
特に我慢をすることなく食べたいものを食べ、子どもには惜しみなくお金を使い、自分たちもそれなりに好きなようにお金を使っても貯金できていました。
が、適応障害での休職が長引き、傷病手当金の受給が始まると収入がガクッと落ちます。
家のローンもあるし、子どもたちの教育費もこれからが本番。
ここまで来て初めて「お金がないことへの恐怖」を感じ始めました。
退職金の金額は確認済
お金の恐怖に襲われ始めた私は、ようやく具体的に動き始めます。
まず考えたのが、「今退職したらいくらもらえる?」でした。
傷病手当金は退職後も一定期間は受給できますが、いつか終わりが来る。そもそも、復職できるか不安に思うくらいなら、スパッと辞めて退職金をもらって今後のことを練る方が気が楽だと感じたのです。
最初に総務課に問い合わせたときは心臓バクバクでした。辞めようとしているのがバレたらどうしよう・・なんて心配もあり。
でも、総務課の人はあっけらかんとしていました。
あ、そうなの?
そんなもんなのね。結構みんなシビア。とても安心したのを覚えています。
退職を考えていて、まだ退職金の金額を知らない人がいたら一度確認してみることをオススメします。
なるようになる?
収入が減ればその分出費を抑えればいいんですが、一度生活水準を上げると下げていくのは大変。
病気になる以前から職場に対してはそれなりに不満はあったので、そのたびに転職も考えました。
そのときに夫に言われたのが「なるようになるよ」ということ。
無い袖は振れません。入ってくる金額をもとに生活していくしかないということですね。
収入が確保されているうちは節約にも身が入りません。やはりある程度追い詰められないとできないもんです。
それが結果的に「なるようになる」ということなんでしょうね。
退職して数年後、実際はなんとかなった
これを更新しているときは、退職に踏み切ってから早3年以上経っています。
その間の経緯は以下の通り。
参考
退職後、夫の何気ない一言で完全在宅のWEBライターの仕事を始める
→1ヶ月500円くらいの収入から、半年で月給35万を達成するも、メインで契約していた企業が廃業
→外で働きたい欲が戻ってきたので、学校給食パート&WEBライターのハイブリッド生活を開始
結果として、何だかんだ生活はそれなりに維持できているし、今の生活には満足しています。
大変な時期はありましたが、何より毎日楽しいです!それが一番かな。
休職中の具体的なお金の流れは、こちらの記事でくわしく書いています。
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適応障害になった私のリアルなお金の流れ【有休~傷病手当金受給まで】
本記事には広告・プロモーションが含まれています。 こんにちは!ぴょん吉です。 適応障害のみならず、というか病気がなくたって気になるのがズバリ「お金」。 世の中お金で買えない幸せがあるじゃ ...
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今後の生活に関するもやもや
私は完全在宅のフリーランスWEBライターとして再出発を切りましたが、安定した給与保証のある生活からしばらく離れることになりました。
正社員というだけで保証されていたものは全てなくなり、自力で何もかも手配する生活が始まります。
その辺りの経緯も書いていきますね。
こどもの保育園&学童保育はどうなる?
まず気になったのが、子どもたちの生活環境。
我が家は共働きなので、「就労」の理由で認可保育園&小学校併設の学童に通わせていました。
年に1回「就労証明書」を提出して、勤務状況の確認を行う、アレが問題。
休職中は職場に在籍しているものの、勤務自体はしていません。そのため、就労証明書は発行できないことが予想されます。
「就労」→「疾患療養」に切り替えてクリア!
役所に電話して事情を話してみたところ、診断書を提出することで理由を「就労」から「疾患療養」に切り替えることで利用を継続できるとのことでした。
保育園や学童は一番最初の入所時はかなりの激戦ですが、一度入った後はよほどのことがなければ退園にはならないそうです。
ただ、診断書に「具体的な期間」を明記してもらう必要があると言われました。
休職にあたって職場に提出している診断書は1ヶ月単位です。それと同じもので役所に提出してしまうと、1ヶ月後に退園になってしまうと。
クリニックで相談したら一発OKだった
望みをかけてメンタルクリニックで相談したところ。
あっさり了承。拍子抜けでした。
提出から1週間ほどで変更完了のお知らせが
とりあえず下の子が保育園を卒園する3月までの期間を指定し、そこまでの期間で診断書を書いていただき、役所に提出して1週間ほど。
役所から無事に「変更のお知らせ」というものが届き、診断書通りに指定した3月まで在園が認められました!
保育時間は短くなるのかと思いきや、今まで通りフルで預けてOKとの認定。
注意ポイント
自治体によっても状況は違うと思うので、お住まいの役所によく確認してから行動しましょう。
転職すべきか、もっと休むべきか
当時悩んでいたのが、「もうちょっと休むか?」と「転職して心機一転働くべきか?」の2択です。
結果として転職はせず、全く新しい領域のWEBライターとして仕事を始めたわけですが、これは今思うと大正解だった気がします。
収入が得られたのもありますが、自分に無理をさせずに働くすべがあると分かったことが大きな収穫でした。
普通に転職すれば負担は増す
それなりに年齢を重ねてキャリアを積んできたのもあり、転職しようとすると「責任者候補」「チーフ候補」などといった役職を前提とした話になります。
目に見えてハードになる職場に転職するわけにはいかないですよね?
特に大量調理業界や医療業界の正社員は大変なのを知っているので、普通に転職する気にはなれなかったのが本音です。
WEBライターはある程度自分の裁量で働ける
WEBライターの良いところは、自分で仕事相手を選べるところです。
もちろん、最初のうちはこちらが「選ばれる立場」です。が、スキルや実績がついてくると、こちらが「クライアント(仕事相手)を選ぶ立場」になれます。
偉そうに聞こえますが、会社員と違って守ってくれる人が誰もいないので、自分が自分で対処するしかありません。
打ち合わせで少し違和感を感じたり、コミュニケーションがスムーズにできなかったりする相手と仕事をすると、報酬の未払いなどのトラブルになることもあります。
自衛の意味でも「微妙な相手とは仕事をしない」と決めてしまえば、理不尽に振り回されてメンタルを消費することもありません。
これこそ、適応障害を経験した筆者だからこそ感じるWEBライターの魅力です。
そういう点からも、WEBライターを選んだことは大正解と言えるわけですね。
しばらく傷病手当金でしのぐか・・それってズルいのか?
不安定なフリーランスになれたのは、傷病手当金がしばらくもらえることも後押ししました。
一応確認していますが、全く同じ業界で同じ仕事をしているのでなければ、傷病手当金をもらうことは不正受給にはならないそうです。
※現在は違うかもしれないので、心配な方は確認してくださいね。
が、元来マジメな性格なので、「それはさすがにズルくないか…?」と思う気持ちがあったのも事実。
労働なしに楽してお金もらうなんて、道徳に反するような気がするのです。
まぁ、そんなふうに融通がきかないから病気になるんでしょうけどね。
傷病手当金は頑張ってきた人の権利
もやもやして、いつも話を聞いてくれる心理士さんに相談してみました。
すると。
なるほど!
健康保険からもらうのね(そんなことも知らずにただ払ってきた)!
今までの自分からのプレゼントだと思って、ありがたくいただきました。おかげで、今の楽しく穏やかな生活があります。
まとめ
将来への不安は尽きません。
健康な人だって、何の迷いもなく突き進んでいる人はいないでしょう。
そんな中で適応障害になってしまった人に、「迷うな!」というのは最高の無理ゲーです。
病気になってしまった事実は消せない。そこから来る不安も消せるわけではないのです。
不安を感じなくなるのはもっと先。私は何年も経った今、ようやく「あの時は大変だったね~」と、夫との晩酌のつまみにしています。
何だか取り留めもない話になりましたが、覚書程度の記事だと思ってご容赦ください…。