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適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

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約3ヶ月の休職期間を経て、元いた職場に復職した私。

復帰前に挨拶に行ったときはまだ何とかなりましたが、復職初日は慣れているはずの職場で心臓ドキドキが止まらない。

ぴょん吉
椅子に座っているだけでも落ち着かないくらいビビっていました。

何が怖いって・・。

それは「さんざん休んで迷惑をかけた私に対して、周りはどう思っているんだろう?」と思ってしまうから。

元気に遊んでて骨折して離脱とかなら、文字通り粉骨砕身の精神で取り戻せばいいでしょうが・・。

私の場合は「適応障害」。こころの病気です。患者本人以外には分かるようで分からない、難しい病気ですからね。

「どう思われているか」が気になるのは当然といえます。

 

この記事で分かること

今回の記事では、実際に復職した私が感じた「周りからの反応・扱い」「視線」などについて書きます。

また、復職後に再発させてしまった私が思う「復職後の落とし穴」も一緒に書いてみます。

周りの反応はどうだった?

周りの反応 いろいろ

家族は安心してた

ひたすら突っ走る私を見て、夫や両親はとても心配していたそうです。

心配してたんなら言ってくれればよかったのに!・・と思いましたが。

「言ってもきかないでしょ」

皆様のおっしゃる通りです。反論できませんでした。

穴があったら入りたいとは、まさにこのことですね…。

結局は「いい勉強になった」

適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

病気になって休職した当初こそ心配されましたが、回復傾向になってきた頃には「いい勉強になったね」と言われるように。むしろ、病気になって分かったことがたくさんあって良かったという雰囲気に。

まさに荒療治。

周りの意見に耳を傾けず、自分のやり方を妄信して突き進むだけだった自分を大いに反省。

世間の適応障害の主な原因は職場環境だと思いますが、私の場合は自分にも理由があったんだと思います。

少なからず生き方を考え直し始めた私を見て、家族は少しだけ安心してくれたようです。

とりあえず、身近な家族が安心してくれればいいかな。

家族が良ければ、あとの外野はどうでもいいですね。

ただ、本当の意味で「外野はどうでもいい」と思えるのは今だからこそ。実際に復職したときは上司や同僚の目が何より気になりました。

上司は黙認、というか放置された

復職して最初こそ気にかけていたものの、そのうち何も聞かれなくなりました。

再発防止とか考えないの?

適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

こっちとしては必要以上の接点は持ちたくないものの、仮にも部下が病んじゃったんだから再発防止策を講じるべきだと思うんですが、そういう観点はないみたいです。

私の前にも後輩が一人メンタルをやられて休職しているわけですから、私で2人目なわけです。

しかも比較的短期間のうちに2人のメンタルが壊れたこととなり、職場としては結構一大事だと思うんですが・・。

上司の危機感は職場のメンタルヘルス環境ではなく、自分の思ったように職場が回らないことの方に向いている印象でした。

セーブしたい自分と仕事させたい上司の攻防が始まる

少しずつ仕事のカンも思い出し、処理能力も以前のように戻ってきましたが、「これで大丈夫」と思われないように、自分で決めた「鉄の掟」を行使しながら60%程度の力で働いていました。

鉄の掟 アイキャッチ
ワーママが適応障害から復職して作った「鉄の掟」5か条

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それでも、上司は上限ギリギリを狙うように仕事を振ってきます。どこまでイケるか試しているんでしょうか。

こちらも回復してくれば断る理由も弱くなります。ちょいちょい抵抗しながらも、結果的には以前と同様に(それ以上に)仕事をやるハメになりました。

涼しい顔して、なし崩しにキャパシティー上限を狙わせる。汚いやり口だな~。

そっちがその気なら、こっちだって言いなりにはなりません。ムリなもんはムリと言わせていただくのみ。

復職後には今までとは違う戦いが待っていましたね。めんどくさいわ~。

先輩はあたたかい

管理職はそんな感じでしたが、先輩たちは違いました。

思いがけない謝罪が…

適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

「こっちの仕事は回せるから、まずは気にしないで自分のペースでやりな」

「今まで任せっきりでごめんね。これからはもっと仕事を振り分けていこう。辛かったら言ってね」

泣いちゃう。

元はと言えば、手伝ってほしいと素直に言わなかった私にも原因はあるんです。先輩方には余計な心配をさせてしまったようで申し訳なく思いました。

復職後も何かと業務量に気を遣っていただき、先輩方と働く分には無理なくやっていられました。

先輩方の言動にも徐々に変化が出始める

私や後輩の病状を見て思うところがあったのか、ミーティングで今後の業務の話が出ても「今の人員では難しい」「業務内容について上と掛け合ってもらえないか」と、私からは言えないような要望を上司に言ってくれるようになりました。

職場の状況を見て、このまま今までのようにやっていては難しいと感じてくれたんでしょう。

まぁ、上司は「検討する」「それは難しい」と取り合ってくれませんでしたが。

先輩方が管理職になる時代まで残れれば、少しは働きやすい職場になるんではないかと淡い期待を抱いていますが、「たぶんその時には私は退職してそうだな…」と思っていました。

案の定、最初の復職から2年後、2度目の休職を経て退職してます。今はどうなっているのか、心のどこかで気になっていますが、もう過ぎたことなので諦めようと思います。

後輩は遠慮がちだったので申し訳なかった

これは仕方ないですね~。人生経験が豊富な先輩がこうなってしまっては、後輩としてはどう接していいか分かるはずもありません。

動揺させてしまって申し訳ない…

適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

「何かあったら言ってくださいね」と言ってはくれるけど、目にはかすかに動揺の色が(笑)。こんな先輩でごめんよ~っと思いながら話しています。

なので、後輩の専門分野について質問・相談することで、気負いなく話してくれる雰囲気を作るようにしました。個人的な話になると重たくなっちゃうんで。

そこから少しずつ雑談を挟んで、もとの関係に戻していきました。

正直、後輩に対してが一番気を遣ったかもしれない・・。

他部署の人には何となく隠す

問題は他部署の人たち。

営業スマイルでごまかしまくる

適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

病棟や外来で会うと声をかけてくれますが、「最近見なかったけど、配置変わったの?」と聞かれてドキドキ。

「部内の編成がいろいろ変わったんですよねぇ~(ウソです。ごめんなさい)」

仲の良い職員さんに対しても素直に言えず。

「ちょっと体調崩して休んでたんですぅ~(こころの方だけどね)」

なんか曖昧な返事でのらりくらり。

だって、いきなり「適応障害で休職してました」なんてストレートに告白されたら困るでしょ?勝手に「地雷踏んだ!」なんて思われたらこっちも気になるし。

カミングアウトは本当に最小限にとどめる

他部署で正直に話したのは、コアメンバーをしていた医療チームの医師と看護師さんだけ。3人程度です。

ただ、病院は入れ替わりが激しい職場でもあるので、病気に関わらず異動や退職していなくなっちゃう人もたくさんいます。仕事に致命的な支障が出なければ問題ないことがほとんどです。

別に病院じゃなくても、家族経営の小さい会社とかでなければ案外関係は薄いのかもしれないですね。

ムリに話さなくても大丈夫な人は意外と多い。「この人なら」と思った人以外はわざわざ言う必要もないと思います。

「もう少しイケるかも?」欲張ったら再発した話

周りの反応 油断

一瞬の油断が再発を連れてきた

「働きながら治療する」という選択をして、それなりに上手いことできていました。

「新しい働き方」ありきで働き、これからもセーブしながら細々やっていけるだろうと思っていた私。

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でも、回復してくるとつい欲が出てしまいます。

もう少しだけ頑張れるかな・・これもできたら良さそう・・という気持ちが芽生え。

もうちょっとだけ・・を繰り返した結果、結局再発させてしまい2度目の休職へ。

油断するとあっという間に脚を踏み外す。痛感しました。

再発して悟ったことは「ここの職場はダメ」

結果として、再発しても生きていけます。私は生きてますから。

ただ、以前と全く同じようにはなれません。というか、全く同じに戻ってしまったら病気が悪化します。

回復に向かうときには、何とか前の生活に戻そうと頑張ってしまいますが、それは違ったんです。

新しい生き方を模索して、新しいやり方で生きていける場所を見つけることが本当の回復なんだと思っています。

「自分を変えること」は最大のストレス

適応障害を発症して休職し、同じ職場に復職。同じストレスの中に戻っていくことで、再発の不安は最初からありました。

職場の環境は変わらない。変えられるとしたら、自分の働き方や受け流し方。

そのためにいろいろ考え、実践してきました。

自分を守ることと仕事をこなすこと。両方を満たすライン上で働くことを意識してバランスを取ってきましたが、それにも限界がありました。

結局のところ、今まで以上に気を遣う羽目になっただけでしたから。

努力しても再発するなら、退職して自由になろう

適応障害から復職した経験者が語る「周りの反応」はどうだった?

2度目の休職に入って確信したのは「ここで働くのはもうダメだ」ということ。

もともと、2度目の休職なんてことになったら退職しようと思っていました。

復職当初はできるだけ残りたいと希望もありましたが、これだけ努力しても再発してしまうのなら、これ以上は危険しかない場所ということ。

同じ職場に戻ったのは一種の賭けでした。これで大丈夫なら長く働ける。またダメならもう諦めよう。

結果として、私は今の職場を諦めることにしました。決断した当時は転職活動も難しいため、休職を続けて療養に専念し、新しい生き方を探すことに。

今は平日パート&休日WEBライターのハイブリッド生活

結果としては、夫の何気ない一言で始めたWEBライターがぴったりハマり、収入が安定するとともに気持ちも安定してきました。

回復するにつれて「外で働きたい!」という気持ちが戻ってきて、いろいろ考えた末に、平日の昼間は学校給食のパートを、休日(平日もちょこっとだけ)はWEBライターとハイブリッドで無理なく働いています。

ちなみに、「Wワーク」っていうと大変そうなイメージなので、カッコよく「ハイブリッド生活」なんて言ってます(笑)。

そんなふざけたことを言えるくらい今は元気なので、適応障害だったのが遠い昔のようです。

退職したのは間違いではなかった。心からそう思います。

まとめ

周りの反応 まとめ

復職後の雰囲気は、はっきり言って「ビミョー」でした。

そりゃそうですよね。

お互いにどう接したらいいか分からないし、余計なことを言いたくないし言われたくない。腹の探り合い期間があるのは致し方ないこと。

でも、そのうち元の関係に戻すことも可能です。実際、私も数ヶ月すればみんなと元通りの関係に戻りました。

それでも、その職場で働き続けるのかどうかは全くの別問題。一度こころを壊した場所であることを忘れてはいけません。

他の職場に移れば全て解決するとは言い切れません。それでも、環境を変えてみるという選択肢も用意しておくべきでしょう。




適応障害は大きな病気です。簡単に治るものではなく、ちょっとしたことでぶり返します。長く付き合っていかなければいけない病気だと思っています。

適応障害に関わらず、他のメンタル疾患も含めてのことですが、治療を続けながら今の職場で働き続けるかどうかは自分にしか決められません。

人に決めてもらうものではなく、自分がどうしたいかという気持ちが一番大事なんです。

その決断は誰にも非難されず、全面的に支持されて然るべきものだと思います。

他ならない自分の未来のため、家族のためにも、皆さんが背伸びしないで生きられることを祈っています。

  • この記事を書いた人

ぴょん吉

管理栄養士・2児のママ。
それなりに順調に来ていたと思っていた矢先、仕事・育児・プライベートに頑張りすぎて2019年に適応障害を発症。
退職後は完全在宅WEBライター・ディレクターとして生計を立てられるようになるが、栄養士業務への未練が立ち切れず。学校給食調理のパート勤務から現場復帰を果たす。
メンタル疾患の闘病を経て、好きな仕事だけを選んで生きるワーママ生活を発信します。

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